近代農芸化学の父と称される天才リービッヒ。(1803〜1873年)
現在世界中で行われている無機化学農業(無機化学肥料を与える農業)は、
リービッヒの理論に基づいている。
植物の必須元素、養分最少律(ドベネックの桶)の発見、理論は、
現在脚光を浴びている「植物工場」にまで発展している。
ナドソンのラン無菌培養法もこの延長線上にある。
メリクロンの技術も・・・・。
この理論を応用してラン栽培でも多種多様の肥料が開発、販売されている。
植物・・・・肥料を与える・・・・という固定観念にまで発展している。
園芸講座、農業講座は肥料、肥料・・・講座になっている。
必ずパラパラ・・・化成肥料を与える花作りまでに成っている。


この天才リービッヒにも大きなミスを行った。
自然の法則を極めるというのは本当に難しいことである。
植物は何所から窒素を得ているかということであるが、
リービッヒは「空気の窒素ガス」を吸収して植物は生長しているとした。
この説は否定され大論争に発展した。


この論争の詳しいことは・・・・リービッヒで検索してください。
  今日の農業、園芸に実に多くの研究が関っているか理解出来よう。

 リービッヒ年表
                                               年表はWikipedia より転載

.植物の養分吸収をめぐる18〜19世紀の諸説

18世紀から19世紀にかけて、物理学、化学や生物学などの自然科学が急速に発展し、
新しい発見や発明に基づく理論や法則が次々と登場してきた。これにともない、
人々は身の回りのあらゆるものに科学の目を向けるようになった。植物の養分吸収についても、
科学者の関心と探究心が注がれるようになる。

イギリスの農学者トゥルは、植物は動物がエサを食べるように根っこから土の粒を取り
込むとして 「土粒栄養説」 という考え方を1731年に提唱している。これに対し、1761年に、
スウェーデンの化学者ワーレリウスは、土の中の黒い物質(腐植;ふしょく)こそが植物の
養分であるとして、「腐植栄養説」 を唱(とな)えた。この腐植栄養説は、ドイツの
化学者テーアによって支持され、広く一般に普及することになる。
テーアは、1809年から1812年にかけて 『合理的農業の基礎』 全四巻を著し、腐植栄養説を取り
入れた独自の農学理論を展開した。この本は、最近また、わが国で、
翻訳新本 『合理的農業の原理』 として出版され、古典的な再評価が行われている。

その後1804年に、スイスの化学者ド・ソシュールによって、“植物は空気中の炭酸ガスを大量に
吸収して栄養源にしている (光合成)” という現象が定量的に証明され、それまでの植物の養分に
関する考え方に新説が加えられることになった。
この光合成による炭酸ガス以外の養分は、植物はすべて根から無機養分として吸収する、
と主張したのはリービッヒである


日本の土壌学の教科書では、以上のように書かれているが、この部分は大きな誤りである。
リービッヒは最も重要な元素窒素は、空気の窒素ガスを吸収していると考えていた。

天才リービッヒも大きな誤りを犯していることに気付かなかった。
現在では、窒素
も根から吸収されることは常識であるが、1870年代までは窒素が根から吸収されることが解からなかった!
ランがラン菌によって発芽することがドミニーによって証明されたのが1853年。



リービッヒの理論から約150年。
ようやく土壌の微生物のネットワークが植物生育、生存に深く関っていることが解かってきた。
人間でも「ピロリン菌」が解かってきた。
最後の科学の未踏の領域が土の微生物世界である。
無機化学では解明できなかった世界である。

     
ランは菌根植物。
微生物ネットワークの究極の世界で生きる植物である。
これまでのラン栽培法は、リービッヒの一般の植物栄養理論から転用したものであるが、
それのみではどうしても説明できない部分があって、この謎がラン菌のネットワークにあったのである。

ラン菌が削除された用土での栽培は、ランを知らない、菌根植物を知らない・・・
無謀な栽培だったのである。

宇井清太によるラン菌発見。
そしてそのラン菌が生息している用土SUGOI-neの開発によって、

世界で初めて自生地を再現したラン栽培が可能になった。
 
  天才 リービッヒもミスした

      植物は何所から窒素を調達しているか
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